Dog&Cat's Stories

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【リンパ腫】「その日」がくるまで生きようず! Complete ① ~病院の扉を開けたとき-猫の闘病のはじまり~

「その日」がくるまで生きようず!
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Review
カテゴリー:闘病記
作者:miyakonokaori

本作は、脚本家・波多野都さんの愛猫ソーニャの、リンパ腫闘病記です。
はじめは小さな異変。
嘔吐が続く。何かおかしい――
そして、手にボコボコと触れる、腹部のいくつもの小さな塊――
「え…うそ…なにこれ…」

動物の闘病というのは、いつも切ないくらい同じように始まります。
当惑、否定、現実、絶望……
そして――、決意。

大きな病気ではありませんように…
作者はそう祈りながら、病院の扉を開けたのでした。

「その日」がくるまで生きようず!
はじめに

脚本家・波多野都さんの愛猫、ソーニャの闘病記。
なぜ闘病記を書き始めたのか?
その理由は、多くの飼い主さんが闘病記を綴る理由を代弁しています。
皆、こうして闘病記を書き始め、書き続けるんです。
そうだよね、生きようず!
「その日」はいつかくるのだけれど。

「その日」くるまで生きようず!
リンパ腫と判明するまで 第1話

動物の闘病は、いつも突然、飼い主の身に降りかかってくる印象です。
だから闘病記の始まりは、飼い主の困惑や、迷いに満たされています。
闘病を経験された方は、きっと我が事のように感じるのではないでしょうか?
「ああ、これはうちと同じだ」って――

「その日」がくるまで生きようず!
リンパ腫と判明するまで 第2話

闘病の始まりは、まず検査からです。
良いとも悪いとも確定していない。そんな中――
悪いものではないと信じたいのだけれど、嫌な予感がよぎる。
「きっと大丈夫だよ」と楽観視をするものの、すぐに「もしかしたら」と思う。
皆そうなんです。
あなただけじゃないよ! 頑張ろうず!

「その日」がくるまで生きようず!
リンパ腫と判明するまで 第3話

はじめは何の知識も無くて――
ネットの検索で出てくる言葉は
「完治はない」
「寛解しても確実に再発する」
「抗がん剤で酷い副作用に苦しむ」

不安で不安で仕方がない――
そこから始まるのが飼い主の闘病。

そこから段々と成長していくのだけれど、それは苦い成長でもあって――

「その日」がくるまで生きようず!
リンパ腫と判明するまで 第4話

今回は診断の結果が分かる、直前までのお話。
「そうだろう」という気持ちと、「もしかしたら」の気持ちが交錯する時期。
――心配しても結果は変わらない。
頭では分かっていても、どうしても落ち着かないのが飼い主の心です。

「ああ、我が家もこうだったなあ」
と、過去を振り返りました。

作品に寄せて

一番最初の、”はじめに”は、本作「その日」が来るまで生きようず! の前半部で、筆者が最も好きな文章の1つです。ここでは波多野さんが、なぜ闘病記を書き始めたのか? その理由いついて語られています。

実はこれは、愛猫、愛犬の闘病記を書く方々の思いを代弁するものでもあります。
筆者が愛犬の闘病記を書き始めたのも、全く同じ理由からでした。

先人の書き残してくれた闘病記から受け取るのは、病気の知識だけでなく、闘いへの心構えであり、いつかくる別れへの覚悟であったりします。
犬や猫が飼い主に残していくものは、楽しい思い出だけでなく、生きる指針のようなものであったりもします。それが闘病記からは伝わって来るのです。

つくづく闘病記は、単なるデータや覚書ではなく、”作品”であるなあと思うのです。
以下は過去に書いた、闘病記への考え。
皆さんは、どう思うでしょうか?

――闘病記について思うこと(原文のまま)――

(闘病記のこと|その1)
2年前、愛犬のピーチーは13歳で、毎日元気に走り回っていた。
このまま、20歳まで生きるんじゃないかと思っていた。
そんなピーチーが、ある日困った状況になった。癲癇の発作を起こしたのだ。
救命救急に飛び込に事なきを得たのだが、その日からピーチーの闘病が始まった。

(闘病記のこと|その2)
治療の助けにと、病気のことを調べた。しかし、ネットの情報はほとんど役にたたなかった。獣医師の言葉もそうだ。
ネットの情報は表面的だし、獣医師はほとんどの場合、その病気の専門医ではない。
唯一役に立ったのは、ブログに書かれた闘病記だった。

(闘病記のこと|その3)
飼い主が書き残してくれた闘病記は、とても役にたった。
素人が書くので、正確さには欠けるが、それを上回るメリットがある。
病気の知識だけでなく、闘病に取り組む姿勢まで書かれた生の情報だ。
何で苦労したのか、何で失敗したのかまで分かるケーススタディでもある。

(闘病記のこと|その4)
やがて自分でも、闘病記を書き始めた。
愛犬との思い出づくりが主な理由だが、それだけではない。
参考にさせてもらった、見知らぬ誰かが書き残してくれた闘病記への感謝のしるしでもあった。
いつか誰かのためにと思って、できるだけ正確に書いた。

(闘病記のこと|その5)
愛犬の闘病に真剣に取り組んでいると、飼い主の知識が、時に獣医師を越える場合がある。
症例の少ない病気は特にだ。
犬も猫もウサギも鳥も診て、内科も外科もやる獣医師と、たった一つの病気を真剣に調べる飼い主では情報量が違う。
そして、その病気で踏んだ場数が違う。

(闘病記のこと|その6)
うちの子は色んな病気になったので、色んなことを書いた。
膵炎、胆管閉塞、癲癇、劇症肝炎、自己免疫不全など。
ステロイドの大量投与や、その離脱症状のことも書いた。
今もその闘病記には、時々感謝のメッセージが来る。
うちの子が命を賭けた甲斐があった。とても嬉しい。

(闘病記のこと|その7)
今、闘病記が読み物にできないか、実験をしている。
普通なら退屈な闘病記を、読み物として読めるようにできないかという実験だ。
病気に罹ってから読むのではなく、事前の知識として読んでおくことは意味があると思う。
だから、楽しめる闘病記にするのが目標だ。

(闘病記のこと|その8)
愛犬が病気になったら、誰かの闘病記を読むのが良い。
とても役に立つから。
そして、ご自分でも闘病記録を残してほしい。
いつか同じ道を歩く、誰かのために。
今日、2年前の闘病記を少し更新した。楽しめる闘病記だったら嬉しいのだが。
――おしまい

――高栖匡躬 ――

作:miyakonokaori(波多野都)
コメント:高栖匡躬 

 

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